2009年8月某日、久しぶりに(30年ぶり?)奈良の高畑に行きました。
長く奈良に行っていなかったので、奈良の様子を探るのが目的です。
興福寺の松林
近鉄奈良駅を出て、まず興福寺に向かいます。
以前は全然気にもならなかったのですが、
奈良の興福寺あたりと博物館前には、見事な松林がありました。
これだけの松林が残っているところは、少ないのではないでしょうか?
ここは、鹿の糞だらけです。
鹿の糞をふんづけながら、春日大社に向かいます。
ささやきの小径
春日大社の手前で、「ささやきの小径」に入ります。
ささやきの小径の中は薄暗くて、涼しいです。ささやきの小径を抜けると、志賀直哉旧居前に出ますが、
今回は、まず、白毫寺《びゃくごうじ》に向かいます。
高畑風景
白毫寺に向かう途中の風景です。
小さな川が流れていました。どこかしら風情があります。
・・・と思ったら、能登川といい、万葉集ゆかりの川でした。
能登川の水底さへに照るまでに三笠の山は咲きにけるかも・読み人知らず・巻十・一八六一
白毫寺
さて、いよいよ白毫寺です。
『高円(たかまど)の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに』 笠 金村《かさのかなむら》 巻二・二三一
「高円の・・・」の歌の意味は以下のとおりです。
高円の野に咲いている秋萩が、空しく咲いては散ってゆくことでしょうか。もう秋萩をご覧になる皇子様がいらっしゃらないので。
志貴皇子《しきのみこ》が亡くなったのを悲しんで詠んだ歌だそうです。
志貴皇子は、天智天皇の第七皇子。のちの田原天皇。
彼の代表的な歌は、『石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも』です。
新薬師寺
次は、新薬師寺に向かいます。
新薬師寺は、約1250年前に建立されました。
当時は広大な寺院だったのですが、
落雷や平家の焼き討ちで、ほとんど消失しました。
唯一焼け残ったのが、当時、食堂であった本堂(国宝)です。
この寺院には、国宝や重文が多数あるのですが、
そのなかでも、十二神将が特に見どころです。
十二神将は、すごく迫力がある塑像群です。
この十二神将の色彩を東京芸大が復元しました。
その経過を記録した映像を本堂内で再生していました。
30分の間、ぼくはそれをずうっと見ていました。
もとはこんなに鮮やかな色彩であったのか!
もちろん、この映像を記録したDVDを買って帰りました。 (3360円税込、安い!?)
境内にある石仏たち(奈良時代)
奈良市写真美術館
新薬師寺を出て西隣に、入江泰吉記念奈良市写真美術館があります。
館内では、入江泰吉の生涯や作品を展示してあるほか、
ハイビジョン映像で見ることもできます。
心地よいソファに腰掛けて、ぼくはずっと見ていました。
この斬新な建物は、黒川紀章氏の設計だそうです。
ここから、志賀直哉旧居に向かいます。
ろくさろん
ここを過ぎたところに、「ろくさろん」という喫茶店がありました。
もうお昼もまわって、2時前です。(お腹ペコペコ)
メニューにきのこピラフセット850円とあります。
ちょっと高いかな? 飲み物つきならこれでいいかと、
ここに入ることに決定。
店に入ってみて、びっくり。
すごく雰囲気がいい。
この「ろくさろん」は、めっけもんでした。
志賀直哉旧居
さて、志賀直哉旧居に向かいます。
帰ろうかなとも思ったんですが、
東大寺二月堂に行ったことがないので、
二月堂を見て帰りました。
二月堂はすごく人が多くて、
高畑の静けさがますます気に入りました。
最後に、二月堂に行く道で出会った鹿を紹介します。
( 撮影機材 Richo Caprio R4 )